一発出来茶太郎のバーチャル旅行

一発弾丸ツアー 萩

萩津和野線 県道13号で萩へ 
津和野内で流鏑馬の馬場前を
通過した記憶があります
国道315号 右折 萩 須佐 方面へ
県道10号14号 萩 福栄 方面へ左折
県道14号 右折 道なり
国道191号 左折 下関 萩 方面へ
東萩駅前交差点右折  到着

グーグルマップで約1時間の行程

萩へようこそ

松本川沿いにあるびっくり屋へ 焼肉をお昼として食べました 
?ランチだったのですが? 現在はディナータイムのみのようです

萩反射炉

1995年7月世界文化遺産登録

明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
旧集成館反射炉跡は下部構造のみで韮山反射炉と萩反射炉のみが起立する反射炉である
再建反射炉は那珂湊反射炉が1937年(昭和12年)実物大模型を建設 
佐賀には築地反射炉跡(日本初実用炉)を発掘調査中 
模型は日新小学校内にあります
世界文化遺産登録は3つ
15:29現着 国道191号を戻り 右側の駐車場(無料)へ
1858年(安政5年)築造とされ 現在は試験炉と見られている 長州藩はアヘン戦争や黒船来航等の西欧列強に対抗すべく鉄製大砲鋳造を目指し 佐賀藩に1855年(安政2年)藩士派遣も断られ 1856年(安政3年)8月に藩で発明していた砲架の模型を持参し交渉した結果 見学を許されスケッチに成功 それを基に反射炉の「雛形 (試験炉)」を造ったのか?1856年(安政3年)には鉄製大砲の鋳造取り組みの記録があり雛形の操業事実もある
その為この反射炉も試験炉と推測され 本格的実用炉は建造されていないとされている
残っている遺構は煙突部のみで高さ10.5㍍で上部の一部が煉瓦積みで下部は安山岩と赤土で造型 往時は石積みは漆喰で塗られていたとされる 上部5㍍位が二股だが実際はそれぞれ独立した構造で炉床もそれに連係した構造が発掘されている 西側の炉床が使用形跡が著しくみられる

オランダ伝承の技術書(ヒューゲニンの「ロイク王立鉄製大砲鋳造所における鋳造法」)の反射炉は高さ約16㍍で韮山も約15.7㍍であり その70%しかないこの反射炉は試験炉と思われ 更に大砲の砲身をくりぬく為の平錐台を動かすための水路跡もなく水車を回せない為 記録も無い事から合わせ萩反射炉は試験炉である事の確証とされている

萩には松下村塾・松陰神社に伊藤博文旧宅や萩城跡等 観光名所が多数あるがここだけで宿へと向かった

笠山へ