


この納骨堂には現在 約4000余名の方が祀られております
私は個人的には
『東洋のアウシュビッツ』
『日本のアパルトヘイト』
『東の果ての隔離政策』
と思って居ます 国策として強制収容所への隔離 その後の偏見と差別による迫害 3メートルの壁や ヒイラギの擁壁での隔離並びに 脱獄防止の為に 流通紙幣の変更 様々な悪政の中 現在でも 国立 13ヵ所 私立 1ヵ所が全国に点在し 1950年代ピーク時には 1万2000人が入所していた
そして 婚姻する為には 強制避妊 断種等を強いられた 中には養子として出された子も居たとの記述を見た記憶もあるが定かでは無く 殆どが中絶を余儀なくされた
小泉政権時代(熊本地裁裁判所 訴訟 平成13年後)に初めて謝罪し 認めたが 1907年(明治40)【癩予防ニ関スル件】から1996年(平成8 橋本内閣)法律停止でも 約90年 更に1875年(明治8)には私設の専門病院『起廃院』ができ 1889年(明治22)には フランス人神父によりハンセン病療養所(静岡 後の神山復生病院)ができる
ここ迄遡るだけでも119年 一世紀分で その先では聖徳太子の飛鳥迄続く 1873年にらい菌発見 翌年発表 で伝染病と知れ渡り 誤解からの隔離へ繋がる
