一発出来茶太郎のバーチャル旅行

串良基地門跡

串良基地門跡

〒 893-1602 鹿児島県鹿屋市串良町有里

2023.8.13 撮影・情報
記憶では牛さんの匂いが漂う場所でした

鹿屋市には、開戦中、3つの飛行場(笠野原・鹿屋・串良)が存在し、海軍の重要基地として位置づけられていました。鹿屋基地から908名、串良基地からは363名とされており、日本で最も多くの特攻隊員が出撃したとされる地です。
ミッドウェー海戦敗北後、海軍は飛行予科練習生を採用したために、既存の航空基地だけでは収容しきれ無くなり全国に航空基地が整備されていきました。
昭和18年から、朝鮮人労働者をはじめ学徒動員や勤労奉仕等により軍事施設の建設が始まりました。
掩体壕つくりや防空壕掘り、谷の岩を破壊した石や崖下からシラスを運び滑走路つくりなどの重労働で約600haの串良基地が開隊しました。
昭和19年4月に普通科飛行整備術教程(筑波海軍航空隊など)を主任務として始まりましたが、昭和20年頃には航空隊教育は中止され、他の基地の各航空隊とともに航空作戦を支援して、4月6日からの菊水作戦になると参加させられ、7月頃には、内之浦から特攻出撃する人間魚雷『回天』の隊員の兵舎にもなりました。

終戦後の、枕崎台風で兵舎は倒壊、GHQ(進駐軍)政策でほとんどの施設が消滅しました。

⇩アフリエイト広告⇩

16,000円

12,000円