山縣有朋記念館
〒 329-2501 栃木県矢板市上伊佐野1022番地
℡ 0287-44-2320
2023.10.15撮影・情報
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入館時間 10:00~16:00 (入館〆切15:30)
*冬季 1月~2月は土日祝日のみ開館
休館日 毎週月曜日 (月曜日が祝日の場合は翌日休み
年末12月28日~1月3日まで休館
入館料 大人 700円 * コーヒーのサービス付き
小学生 350円 障害者手帳提示で介助者1名含み 各500円
団体 15名以上 各 大人 600円 小学生 300円
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この狛犬の云われ 多数文献によると、日清戦争(1894~95)明治27年~28定かに、海城の三学寺が日本軍の野戦病院として接収されていたが、そこの総責任者の石黒忠悳軍医総監が帰国後(1895)明治28年、軍司令官の山縣有朋を訪ねた際に、三学寺にあった獅子像が「古奇愛すべき」ものであったと語った事から、移送して献上の意を山縣が「陛下の叡覧に供して大御心の程を慰め奉りたい」と言い、石黒が満州に留まっていた奥保鞏中将(後の元帥)に連絡し、日本に運ぶよう依頼した。それを受けた奥中将は白くて大きな獅子一対と青みがかった一体の三体を移送、この中国獅子三体を明治天皇に献上したところ、「陛下には殊の外ご満悦の状に弄するを得たる上、その白石の一対は靖国神社に、他の一躯即ち青石の分は公に下し賜りし次第」(靖国神社百年史資料編)となった。
靖国に置かれた一対は、大清光諸2(明治9ー1876)年、保定府深州城の李永成という人物が三学寺に奉納したもので新しく、一緒に見繕って選ばれた「時代もあり、形のよい青石の一体」とされた物が、この獅子となる。
奥中将の書簡には、「大きいほうの獅子像はいかにも新調物にて見苦しい、青石の獅子は時代もありなかなかのものだが一対そろっているものがない」と記されていたそうだ。
また、この獅子は国内で見る中国獅子の大別では北獅と南獅で別れるが、東大寺南大門の獅子像に近く、スッと背を伸ばしたスタイルである。
事の詰まり戦利品であるとされる。砂岩系の石と見られるため摩耗が激しいと考察される。
また、風説で皇居の狛犬と向き合う形で置かれているという、流風もあったが現在は否定されている。
町の石像と同じく風化して、味を出すのも趣だが、後世に残すべく風雨を遮り保存して欲しい物である。
無理矢理、接収したのだから、その義務はあると思う。(個人的意見)
入り口が見つからず彷徨いましたが
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正面左側のここから入れます
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栃木県指定 誘拐文化財 (建造物)
山縣有朋記念館 1棟
所有者 山縣睦子
平成2年1月26日指定
この記念館は、明治の元勲、山縣有朋が経営した「山縣牧場」内にある。
当時は、小田原の古希庵内に明治42年(1909)伊東忠太の設計により建設されたが、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊したため。翌年、有朋の長男伊三郎が現在地に移して再建したものである。
木造2階建ての外観は、純然たる洋風建築であるが、ほとんど装飾のない簡素な造りである。
しかし室内は、階段室也2階の居間を備えており、当時の邸宅建築の水準を示す質を備えており、なかでも、山縣有朋のY・Aをアールヌーヴォー風にあしらったドアのデザインは印象的だある。
栃木県教育委員会・矢板市教育委員会
案内板 参照
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ここから入ると建物右側上の写真の橋に行けます
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この並びに沿って進むと駐車場が在ります
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駐車場正面には社が鎮座しています
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この看板の前の道を進みます
「やいたの建物十選」
山縣有朋記念館
平成二年一月二十六日県指定文化財
明治四十二年建築(大正十三年小田原より現在の地に移築)
有朋公晩年の別荘で、純然たる洋風建築である。本建築は、有朋公在世中に建築された住居用建物の一つである。
設計は、明治時代の近代洋風建築の大家である工学博士伊東忠太である。
平成九年十一月一日選定
矢板市市民の日実行委員会
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館内は撮影禁止で、二階建て階段のみ一階にトイレあり、記念グッズ販売在り
有朋も養子で有朋の子もまた、養子だそうです
(館内 写真で 相違を感じると思います 軍服から見て取れます)
明治の牧場入植の祭にここに居住したことから移築され現在に至る経緯だそうです
小岩井が三菱の系列である事からも解る通り、明治期にはここら辺一帯が牧場経営や農地移管で入植が行われ那須の移住が盛んになったと言われている。
また、渋沢栄一が地元民に猛反発され、手を付けられなかった所に、山縣有朋が地元民と交渉して渋沢栄一から入植の許可を譲り受けたという経緯も残っている。
山縣有朋記念館左隣の社
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