(コガネマキ)
小 金 牧
小金牧は北部を野田の中里宿付近から南は八千代台駅と実籾駅下の花見川付近にで分布点在し 北から 荘内牧(庄内牧) 高田台牧 上野牧 中野牧 下野牧 と分布して居り、中野牧はほぼ中央にある。
点の位置はだいたいの目測です
また、大町付近ではグーグルマップにある野馬土手は
アスレチック反対側、日本ハムファイターズから
ゴルフ場裏手へ抜ける道の突き当り奥の
梨園内にありそうなので地図がズレている可能性があります
その中心地点付近にあったであろう場所に碑がある
御 立 場 の 碑
五香公園内
2024.10.5撮影・情報
松戸市立博物館蔵
展示物から
これ程の高さとは想像しておりませんでした
全体図をご覧になりたい方は下から
他の場所の所蔵品には城壁の石垣で下部を囲った御立場の絵も現存しているので興味のある方はググって下さい
下総大地には古代より馬の放牧場があり、江戸幕府は小金原(いまの松戸市、柏市、流山市、鎌ヶ谷市などにわたる範囲)に、直轄の牧場を開設して、馬を育成しました。
広大な小金原のうち、現在の松飛台付近で、徳川将軍家は八代吉宗が二度、十一代家斉と十二代家慶が各一度の計四回、多くの家臣と農民を動員して「御鹿狩」(オシシガリ)をを行いました。この付近には、将軍が御鹿狩を眺めるため、土を高く盛った「御立場」が建設されました。御立場は戦時中の昭和十年代まで残っていました。
平成二十九年一月
松戸市教育委員会
案内板参照
石碑が建てられて居ます
私の勝手な自論ですが、明治維新以降に軍の編成はまだ歩兵と騎兵がメインでここは格好の軍事施設地に合っていたため、習志野・くぬぎ山・下総基地(海)・野田・流山の食糧備蓄施設などが密集し、新京成電鉄の前身は軍が線路の敷設訓練に引かれた為とも、近隣には伝わる。また、その論拠としては、敵機の機銃掃射から逃れるために蛇行した敷設となっている点や伝承からとされる
詳しくお知りになりたい方は
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