薬 円 台
薬 円 台
江戸時代中期八代将軍吉宗の時代の享保七年(一七二二)幕府御用医師並円羽正伯と江戸の薬種商人の桐山太右衛門が幕府の命を受け小金下野牧(幕府の牧場)の一部を下げ渡され幕府直轄の薬草園「下総薬園」を開いた。「下総薬園」はまもなく廃止されたがその跡は畑作の新田村となり「薬園台新田」と言った。(地元では円羽正伯にちなみ「正伯新田」とも言った。)
薬園台は明治二十二年(一八八九)二宮村が成立するとその大字となり明治四十年には「薬園台」となった。
時移り昭和二十八年二宮町(昭和三年町制)が船橋市に合併すると翌々年一月の新町名設定により船橋市薬園台となった。
その後昭和四十八年三月に住居表示が実施され「薬円台」と改称されて現在に至っている。
平成四年九月吉日建之
案内板参照