一発出来茶太郎のバーチャル旅行

茨城 鹿嶋 塚原卜伝像

塚原卜伝像

〒 314-0032 茨城県鹿嶋市宮下2-11₋4

2023.6.10撮影分

鹿島神宮駅から徒歩約4分(240㍍)24時間参拝可能

つかはらぼくでん 生誕1489年(延徳元年)~1571年3月6日(元亀2年2月11日)享年83歳
改名 吉川朝孝(幼名)⇨塚原高幹⇨卜伝(号) 別名(通称)新右衛門⇨土佐守⇨土佐入道 

ほうけんこうちんこじ

戒名 宝剣高珍居士

実家の吉川家は本姓を卜部(ウラベ)となり、卜伝の由来もそこからと思われる
実父 覚賢から鹿島古流(鹿島中古流とも)養父 安幹から天真正伝香取神道流 を学ぶ
松本政信の奥義『一之太刀(ひとつのたち)』は諸説あるが
養父 塚原安幹 本人 松本政信 卜伝自ら編出した とある
 
卜伝の武者修行の行列は 門下80人 鷹3羽 馬 3頭 の豪壮な物であったと伝わる
弟子には 奥義『一之太刀』を足利義輝・北畠具教に伝授したとされ
唯一相伝が確認される雲林院松軒(弥四郎光秀)や諸岡一羽・真壁氏幹(無道)
斎藤伝鬼房(勝秀)など一派を編み出した剣豪や山本勘助らが居るとされる

講談でも取り上げられ『甲陽軍鑑』に伝わる【無手勝流】などあるが
宮本武蔵との逸話は生年が合わない事からも解る通り作り話とされる

墓は 豊郷村須賀塚原(須賀村・現 鹿嶋市須賀)の梅香寺にあったとされ焼失の後 墓のみが現存する
位牌は墓地近くの真言宗『長吉寺』にあると伝わる 

塚原卜伝(1489-1571)は、戦国時代に生きた剣の達人で、鹿嶋市が誇る偉人の一人です。鹿島神宮の神職卜部吉川家に生まれ、塚原城の城主塚原土佐守安幹の養子となりました。16才から武者修行で全国を歩き、戦場や真剣勝負で修練を重ねました。「鹿島新当流」の開祖で、戦国乱世に、「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」と、剣の平和思想をもって生き抜きました。
人はいつしか卜伝を「剣聖」の名でたたえました。「鹿島新当流」は県の無形文化財に指定されています。

案内板参照

この記念碑に平成四年一月吉日 っとある事からその頃造られたと思われる。また、聖剣塚原卜伝生誕五百年祭記念事業実行委員会ともある事から、(平成4-1992)も推測される。

下記の記念碑より抜粋 要約記載

それぞれの配置です

神宮坂を上る・下る