閻 魔 堂
〒 270-0164 千葉県流山市流山2丁目116
バス通りから入り右(万上通り方面)に閻魔堂、左が常興寺檀信徒用駐車場があります
左手に見えるのは六地蔵です。閻魔堂境内にあります。
金子市之丞墓所
金子市之丞は、言い伝えによると明和六年(1769)に流山の醸造家「金子屋」に生まれた。家運が傾き父は没したが、家業に励むことなく賭博に興じたため、母に勘当された。やがて母も没して家屋敷までもが人手に渡りついに盗賊に身を落とし「金市」と言われたという。大坂で捕らえられ、文化十年(1813)十二月十六日に(千住)小塚原の刑場で獄門にされた。同十九日に上新宿村の某が首級を持ち帰り、翌日に光明院に葬られたと言われている。盗賊などを平安の六歌仙に見立てた講談「天保六花撰」に登場し、明治十四年(1881)に初演された歌舞伎「天衣粉上野初花」(くもにまごううえののはつはな)で人気を博した。物語では大店から盗んだ金品を貧しい人々にばらまいたことから
「ピン小僧の金市さま」などと呼ばれ、義賊としてこの墓石が建てられたようである。隣接する墓石は、同作で金市の愛人とされた花魁・」三千歳の墓とされている。 案内板 参照
他にも調べると 流山三次の子分になり、その時有り金を気前よくピンに張った事からピン小僧と称される事となっとか、武州松山で片腕を切り落とされたり、浅草猿楽町で神道無念流免許皆伝の剣客になったとか、義賊
「流山の鼠小僧次郎吉」などと風評する記述も見受けられる
金子市之丞墓所並び奥手前にある石仏
入口から真っ直ぐに一番奥まで行くとこちらになります
入ってすぐ左が金子市之丞墓所です