令和元年台風19号の被害より
現在閉鎖中
ロビーでのご案内のみ
副館長による解説あり
鈴木貫太郎記念館
〒270₋0206 千葉県野田市関宿町1273番地
下記は 2006.10.30撮影分・2024情報
鈴木貫太郎は、日本海軍畑で出世後、1929年(昭和4)に侍従長に就任。7年後の1936年(昭和11年2月26日)二・二六事件では心肺停止の重症から蘇生し、1945年(昭和20)4月7日内閣総理大臣に就任。同8月14御前会議でポツダム宣言受諾決定、
翌朝 宮城事件に遭い
同8月15日 玉音放送 後内閣総辞職
翌年(1946)6月3日公職追放令の対象となり
郷里の関宿町に帰った
元々の出自が関宿藩士で代官の家柄で、1877年(明治10)
その父の群馬県庁への就職に伴い前橋に転居。
1948年(昭和23)4月17日肝臓癌の為死去 享年81歳
死の直前
『永遠の平和 永遠の平和』
を非常にはっきりした声で二度繰り返したと伝わる
関宿町 ⇨実相寺⇦に眠る
遺灰には二・二六時の取り出さなかった弾丸があったそうだ
以下再建資金用 ふるさと納税
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